大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(レ)74号 判決 1963年4月02日

控訴人 常行はま

被控訴人 竹内喜悦

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一、当事者の申立

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、東京都渋谷区氷川町一六番地木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建一棟建坪九坪五合を明渡し、昭和三六年二月一日から明渡済まで一ケ月七千円の割合による金員を支払え。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

二、控訴人の当審における新な主張

(一)  控訴人は昭和三三年訴外吉忠産業株式会社から請求の趣旨記載の本件建物を買受け、昭和三五年一一月二二日自己名義で保存登記をなした。

(二)  本件建物は地代家賃統制令の適用を受ける建物であるとの点及び本件賃貸借契約に要素の錯誤があつた旨の主張はいずれも否認する。

三、被控訴人の当審における新な主張

仮に本訴当事者間で賃貸借契約が成立したとしても、被控訴人は昭和三五年八月頃、本件建物の所有者花木信から、改めて同建物を賃料一ケ月七千円で賃借したから、正当な権原に基いて占有しているものであり、右正当な所有者との間の賃貸借契約の成立により控訴人との間の本件賃貸借契約は消滅し、控訴人は返還請求権を取得できないものである。

そうでないとしても、被控訴人主張の賃貸借契約を締結する当時、控訴人が本件建物の所有者であり、その権原に基いて賃貸するものと信じ、右契約を締結したものであるところ真実の所有者は控訴人の姉の訴外花木信であり、控訴人自身は被控訴人に本件建物を使用収益させる権原を有せず、単に花木の代理人として賃貸借契約を締結する権限を与えられていたにすぎなかつたものである。

被控訴人のこの点に関する錯誤は本件賃貸借の要素に関するものであるから、右契約は無効である。賃料の供託は正当な債権者が不明なためなしたものである。

四、当審における新な証拠方法<省略>

五、当事者双方の主張、立証は以上のほか原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

一、賃貸借契約の当事者

被控訴人は昭和三四年五月に成立した本件建物の賃貸借契約上の貸主は、訴外花木信であつて控訴人は花木の代理として契約締結に関与したにすぎないと争うけれども、成立に争いない甲第一ないし第三号証、原審証人長島洋の証言の一部によれば本件賃貸借契約は控訴人が当時その夫であつた長島洋を代理人として被控訴人との間で締結したものであることが認められる。

原審及び当審証人花木信、同竹内ナツ子の各証言、原審における被控訴本人尋問の結果中にはそれぞれ右認定に反する部分があるけれども、右各供述のその余の部分及び前顕甲第二、三号証と弁論の全趣旨を綜合すれば、被控訴人は昭和三五年八月頃突然花木信から本件建物は自分の所有であり、弟の長島洋に当分の間賃料を取得させ債務の弁済に当てさせることにしていたけれども、弟に不都合があつたので今後の賃料はすべて自分に直接支払うようにとの申入を受け、始めて複雑な事情が介在することを知つたけれども、花木と長島は姉弟の間柄であり、両当事者間で和解が成立することを期待し、なお暫くは従前どおり控訴人に賃料を交付していたこと、しかし結局本件建物の所有者が花木であるか長島であるかにつき両者間の話合がまとまらず、双方から賃料を請求される状態になつたので、被控訴人は昭和三六年二月以降は賃料の支払を取り止め、同年五月二九日それまでの賃料を一括して供託したこと(供託の点は争いがない)しかしながら右供託に当つては還付請求権者を控訴人と指定していることがそれぞれ認定でき、他に被控訴人が三五年八月以前にすでに本件建物の所有者について右認定のような事情があることを知つていた形跡を推認させる証拠はない。

そうすると本件賃貸借契約を締結するに当り被控訴人側で本件建物は長島洋もしくは控訴人の所有でなく、花木の所有するところであり、従つて貸主も花木であつて長島はその代理人として関与するものであるとの認識があつたとはとうてい認め難く、これに反する前掲各供述部分は措信できないものである。なお他に以上の判断を覆すだけの証拠はない。

二、本件建物の所有者と長島洋の地位

原審証人花木信の証言及びこれにより真正に成立したと認める乙第一号証、原審証人花木良、同長島洋(その一部)、原審及び当審証人花木信の各証言ならびに成立に争いない甲第四号証を綜合すると、本件建物はもと長島洋の所有であつたが、昭和三四年二月五日花木信にその敷地と共に売り渡されたものであつて、本件賃貸借契約が締結された当時、長島は同建物の所有者でなかつたこと(当時建物には保存登記がない)が認められる。

もつとも長島洋は姉の花木信から当分の間本件建物の賃料を取り立てて長島の訴外債権者に対する債務を弁済すればよかろうとの許諾を得ていたことは前掲花木信、花木良の各証言から明らかなところであるが、同証言及びこれまでに認定した各事実に照らせば、右許諾の趣旨は、控訴人(もしくは長島洋)が貸主となつて借主に本件建物を使用収益させることの権能を与える意味ではなく、いわば本件建物の管理人的立場で花木信の代理人として賃貸借契約の締結を代行し、賃料を取り立てこれを自己の債務の返済資金として利用できることの権限を与えたにとどまるものと解される。

右認定に反し控訴人は、昭和三三年に訴外吉忠産業株式会社から本件建物を買い受けたかの如く主張するけれども、これを認めるに足る証拠はなく、また原審証人長島洋は昭和三四年四月頃妻であつた控訴人に本件建物を贈与したと供述し、本件建物を花木信に売り渡した事実を否定するけれども前示認定に供した資料と対比してにわかに措信できない。

他に以上の判断を左右するに足る証拠はなく、格別の主張も立証もなされていない本件では、昭和三五年八月当時もなお花木信が本件建物の所有者であつたものと認めるのが相当である。

三、被控訴人の占有権原(明渡及び遅延損害金請求の当否)

原審証人長島洋(その一部)、同花木信の各証言及び甲第一ないし第四号証、乙第一号証を総合すると、長島洋は妻である控訴人が本件建物を所有するもののように振舞い、被控訴人夫婦もこれに格別疑念をはさまず、前示一のとおり本件賃貸借契約を締結したものであるところ、昭和三五年八月になつて花木信から賃料を請求され漸く真相の一端を知つたので、程なくあらためて正当な所有者である同訴外人から前示賃貸借と同一条件で賃借することの承諾を得、以後所有者たる花木信から占有の許諾を得た者として、本件建物に居住していることが認められ、これを覆す証拠はない。

そうすると被控訴人は控訴人との間の賃貸借契約とは全く別個な独立の権原に基き本件建物を占有するものであり、他に格別の主張、立証もない本件ではこの占有権原を控訴人に対抗できることは明らかであるから、控訴人の本件賃貸借契約解除を理由とする明渡請求及び契約終了に因る返還義務の遅滞を理由とする損害金請求は、解除の成否を判断するまでもなく、いずれも失当である。

四、賃料請求の当否

控訴人は、前記一の本件賃貸借契約に基き、未払賃料を請求するのでこれにつき判断するに、すでに認定したところから明らかなように、控訴人は自らが貸主となつて、賃貸借契約を締結したものであるから、他人の物の売主に準じて借主をして、本件建物の所有者に対抗できる正当な使用収益権能を取得させる義務があるものであるところ、所有者たる花木信との関係で斯る権原を有しておらず、しかも斯る事情を秘匿して契約を締結したものであるる。

このような場合には民法第五五九条により準用される同法第五六〇条ないし第五六四条の諸規定によつて判断すべきものと解せられるところ、借主たる被控訴人は右法条にいう善意の当事者(買主)に該当するものと解するのが相当であるから、同法第五六一条により本件賃貸借契約を解除できる立場にあるものというべきである。そして前記一ないし三に認定したところに照らせば、控訴人は、他人の物を賃貸するにつき借主をして所有者との関係で適法に使用収益できる権原を取得させることができなかつたものと認めるのが相当であり、これを覆すべき証拠はない。

ところで、被控訴人が主張するところの、花木信からあらためて本件建物を賃借したことにより、控訴人の本件賃貸借契約上の返還請求権は消滅した旨の抗弁は、貸主たる控訴人が花木信から賃貸に関する権限(借主をして花木との関係で適法に使用収益できる権原)を取得させることができなかつたので、控訴人被控訴人間の賃貸借契約は効力を失つたとの趣旨であるから右の主張には解除権行後の意思表示を包含するものと解して妨げない。

そうすると、本件賃貸借契約は右解除により消滅したものと認むべく、民法第五六一条による解除の効果は、賃貸借契約の場合といえども契約成立の時に遡つて発生するものと解するのが相当であるから、結局控訴人は本訴請求に係る賃料債権を有しないものである。

もつとも控訴人は、これに先立ち賃料不払を理由とする解除をなしたことを主張するけれども、元来賃貸借契約は有償双務契約であるから、貸主たる控訴人は借主たる被控訴人に対し完全な履行の提供をしない限りこれを遅滞に附することはできない筋合であるところ、前記二ないし四において判断したとおり、控訴人は被控訴人をして所有者に対抗できる使用収益権原を取得させることができなかつたものである(すなわち被控訴人は所有者に対する関係ではあくまで不法占有者に該り、妨害排除請求による明渡義務を負担し、且つ賃料相当の損害金を支払う義務をも負担している)から、斯る場合には貸主として未だ完全な履行の提供をしたものとは認められない。それゆえ控訴人の解除の主張はその他の点につき判断するまでもなく失当であり、被控訴人のなした解除の効力を妨げるものではない。

五、以上判断してきたところから明らかなように、控訴人の賃貸借契約解除を理由とする本件建物の明渡及び未払賃料、損害金の各請求はいずれも理由がなく、被控訴人のその余の主張について判断するまでもなく原判決はその結論において相当であるから本件控訴は棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 滝田薫 山本和敏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例